以前住んでいたところは坂がやたらと多かった。
私のマンションはその地域の高台にあり、向かいのマンションが建つまでは、3階なのにもかかわらず広々空が見渡せて、それはそれは気分のよい見晴らしだった。
だが、それほどの眺望だ。当然駅からの道のりは、ぜえぜえといくつもの坂を登らなくてはならない。中でも“テニスコートの坂”(と勝手に命名していた)。文字通りテニスコートの脇を通る坂なのだけれど、この急勾配はすさまじく、たいした距離ではないのに登り切るころにはいつも肩で息をしている。自転車の場合は漕いで頂まで達したことがなく、途中で降り、前傾姿勢でハンドルを押し上げるように歩き進むのが常。だがこのコースは駅からの近道であり、かつ、ここさえしのげば他の道は大物の坂がないため、わりと頻繁に利用していた。
その日も駅前で買い物を済ませた私は、いつものように自転車で緑道をすいーっと走り、これが唯一の運動とばかりに若干得意げにペダルを踏んでいた。細いながらも花々で飾られたその緑道は、距離はあるけれど坂はほとんどない。天気のよい日などは最高の気分だ。
そしてその緑道を抜け切り、右に曲がると住宅街の細い道。
それを少し進むといよいよ例の、“テニスコートの坂”にさしかかる。
前方を見上げると今日も居丈高に立ちはだかるアスファルト。
でも、今日は天気がいいし気分もいい。買い物も本1冊、荷も軽い。
「今日こそ、いけるかも」
平地からびゅんと勢いをつけて漕ぐ、また漕ぐ。
ぱーんぱーんとテニスコートから爽快な打球音が徐々に近づき、私を激励する。
よりいっそう角度がきつくなるあたりで少しカーブ。ここが最大の難所だ。
腿がぷるぷるいいだす。
ぱーん、ぱーん。
どこの誰かは知らないけれど、応援ありがとう。ぜえぜえ。
ぱーん、ぱーん。
きっと君たちのような、ぜえぜえ、若い学生なら登り切れるんだろうね。
ぱーんぱーん。
ううっ。ぜえぜえ、腿がぜえ、つらい……。
ぱーん。
と。やっぱり自転車を降りてしまった私。
軽々しく「いけるかも」なんて思った自分の愚かさを思い知り、その場でぴたっと止まって息を沈める。やっぱりちゃんと運動しなきゃなあと人生何万回めかの反省をしていると、なにやら視線が左前方、しかも上の方から。
「だからおまえには、この坂無理だって」
これが彼(未確認)とのはじめての出会いだった。
すごい大きな犬。坂の上の犬。高台に住んでいるだけあってか、妙に悟った、そのお顔。
それからというもの。私は彼の忠告どおり、はなからこの坂の入り口で自転車を降りるようになった。考えたらこの勾配、毎日歩き登るだけでも相当な運動量だ。達成感より持続力。キレイに近道はないのよねと、図らずも犬に教わったのでした(笑)。
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