北大路公子さんのエッセイにはまっている、と先日書きましたが(→
コチラ)、いよいよ著書全作読破が目前。
「かなしいなあ、もう読むものがなくなっちゃう……」
って、ラスト1冊を読みながら早くも軽めの北大路公子ロス。
彼女のツイッターもチェックしているけれども、それでは当然もの足りずに、どうしようこのままじゃあぽっかり心に穴が開いちゃうわ、と、試しにもう一回、つい最近読み終えたばかりの『生きていてもいいかしら日記』(PHP文芸文庫)を読み返したらあっさりまた爆笑、しかもほぼ同じくだりで笑えました。キミコ先生すごい。そしてありがとう。
先日も『水曜どうでしょう』を引き合いに出しましたが、キミコ先生の作品もやはり、「なんぼでも見返せる」パターンの作品なのですね。特別なにがおきるわけでもないので、古くならない。エピソードひとつひとつが超日常なので爆笑するわりにはすぐ忘れちゃって、あまり間をおかず再読しても既視感がとても低いんです。だからまた、キミコさんの筆力に巻かれて素直に爆笑。
……とはいえ。「は、早く次回作を……!」という飢餓感はありますもちろん。次の帰札の際には、札幌の本屋さんで彼女が寄稿している地元誌など探すでしょう間違いなく。
「早く次回作を……!」といえば、イーユン・リーさんもそうです。
こちらはうってかわって小説、しかもかなり重めの内容が多い(いやそればっかり)の作家さんです。
はじめて読んだのは『千年の祈り』(新潮クレスト・ブックス)。書評家の豊崎由美さんがすすめてらして読んだのがきっかけです。
その後、トータルで4冊、かな、出してますが、『千年の祈り』ほか、『さすらう者たち』(河出書房新社)も絶品すぎてくたくたです。
イーユン・リーさんは中国出身の作家さんで、彼女は現在は渡米先で結婚してお子さんもいらしゃるとか。
そうした彼女が描き出す祖国は、フィクションだとわかっていても非常に生々しく、一党制の下で暮らすというのはこういうことかもしれないというのが垣間見られ、読後、普遍的な人間模様なのに、今まで味わったことがないような、どっしりとした、心の奥底に溜まって決して流れ去っていかないなにかを読者に置いていきます。だからこそクセになるし、もっともっと、と、次回作に焦がれます。
特に『さすらう者たち』は、読んでいて果てしなくつらいのに、ページをめくる手が止まりません。打つべし、打つべし、というくらいつらいことが押し寄せてくるハードパンチャー。彼女も書いていてつらくないのだろうかというほどに。
でも、読み進めるうちにいつしか、そのつらさや痛みに驚かなくなり、そういう自分にまた驚かされます。そしてそれこそが、筆者の伝えたかったことなのでは、と、気づくと三度、心が震えます。負の麻痺感。
憧れたり尊敬したりする書き手の方はたくさんいますが、私がはじめて、「うらやましい」と嫉妬すら覚えるくらい夢中の作家、イーユン・リーさんは、キミコ先生とはまた対局にいらっしゃる超のつく天才だと思っています。
と。キミコ先生にお話ちょっと戻りますけれども。
冒頭でご紹介しました『枕元に靴 ああ無情の泥酔日記 増補新装版』(寿郎社)の巻末では、あの山本文緒さんとキミコさんの対談が収録されています。また、『生きていてもいいかしら日記』(PHP文芸文庫)では、恩田陸さんが解説を担当。特に個人的にも大好きな(ほぼ全巻読んでいます)山本文緒さんは、キミコさんが無名の日記ブロガーだったころからのファンらしく、キミコさんと一緒に旅行に行ったりもしてらっしゃる(『石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常』(集英社文庫)にその様子が収録されています)。人気大作家さんにも愛されているキミコさん。なんかますますすごいなと。(c)Kirei no Honne